宇津救命丸株式会社公式サイト

会長が地元高根沢町をご紹介します

2024年07月01日

高根沢は、1597年に宇津救命丸が誕生した発祥の地です。
1958年に高根沢町となりましたが、その町にまつわるお話を、筆者(現会長
宇津家第18代)が見聞したことも交えてご紹介したいと思います。

概要
高根沢町は、県都のある宇都宮市から北東に約13キロ離れた栃木県の中央部に
位置し、東西に約10 km、南北に約11 kmの町です。年々町の市への統合が進
んでいますが、高根沢町は独自の行政を営んでいます。

町の西側を国道4号線とJR東北本線が縦断。町内にはJR東北線の宝積寺駅が
あり、那須烏山市へ向かう烏山線の起点となっています。

以前は東京から車で行くと約4時間、電車でも2時間半ほどかかりました。
その後、東北道や東北新幹線が開通し、車で約2時間、新幹線を使えば1時間
ちょっとで行けるようになりました。

      高根沢町ホームページより

人口
人口は約3万人。むかしからの農家に加え、工場の進出や宇都宮市のベット
タウンともなっていて、人口総数の変化はほぼほぼありません。

気候
夏はかなり暑く近年の最高気温は37度でしたが、首都圏に比べると湿度は低
いです。むかしは日陰や夜になると涼しかっですが、最近は夜も暑くなり
ました。古い家は風通しをよくして、生活の知恵で暑さ対策をしていました。
雪はほとんど降りませんが、寒さは厳しく、今年の最低気温はマイナス10度
で、霜柱が二段になることもあります。

宇都宮市は雷都と呼ばれるぐらい雷が多いので有名ですが、隣接する高根沢町
も雷が非常に多い地域で、敷地内に落ちたことがたびたびあります。稲妻が
光って音がするまでの長さで落ちた距離を推測しますが、敷地内に落ちたとき
はほぼ同時で凄まじい音でした。
以前は雷対策で避雷針を立てていましたが、いまはほとんど見かけません。
むかしはよく落雷で停電になったもので、雷が落ちると電子機器やテレビが
壊れたりしました。でも、雷の被害は火災保険でカバーできます。

農業
高根沢町はそのほとんどが平野で、約60%を農地が占めています。
以前、岩手県の農協の職員が見学に来られ、見渡す限りの平野と農地を見て羨
んでいたということです(町長談)。むかしから米どころで、2019年に執り行
われた天皇陛下の即位の礼の、大嘗祭に使う米に高根沢町で収穫する「とちぎ
の星」が指定されました。

米どころですので豪農も多かったようで、その象徴でもある長屋門がいまでも
多数残っています。ちなみに、高根沢町の原付バイクのご当地ナンバー
プレートは、米俵の形をしています。

米のほかにも、キリンビールと契約している麦畑もあります。以前高根沢町に
キリンビールの工場がありましたが2010年に撤退し、その後も契約した農家の
麦は買い上げているそうです。

また、栃木の名産のイチゴ農家や、梨やブドウを栽培している果樹園もあちら
こちらにあります。しかし、農家も高齢化が進み後継者問題が大きな課題です。

工業
1971年に、キリンビールの工場が出来たのをはじめとして、1975年ごろから
企業誘致が進み、各企業の工場や研究施設が進出してきました。キリンビール
工場が撤退した跡地には、世界的な医療機器製造販売メーカーのマニーが本社
と工場を移転することになっています。

隣接する芳賀町には本田技研工業の巨大な工場があり、一時は高根沢町にも
NSXなどのスポーツカー製造工場がありましたが2004年に閉鎖となりました。

交通
以前は宝積寺駅から1日に数本のバスが運行されていましたが、現在は廃止と
なり、代わりに町が運営するデマンド交通システムが出来ました(町内限定)。
路線バスとは違い、自宅などの希望する場所から、目的地までの送迎をする
バスです(愛称たんたん号 たんたんの由来は田んぼです)。1回100円と安価
で便利な反面、混み具合によっては各家庭を回って行くため希望の時間に
添えず、普段10分で行けるところを遠回りして1時間かかることもあります。

教育
高根沢町には、保育園が8、幼稚園2、小学校6、中学校2,高校が1校あり
ます。小学校では、4年生の教科書の副読本に弊社の歴史が載っていて、毎年
11月に宇津薬師堂と宇津史料館の見学に来られます。また、過去に行った当社
の一万灯祭りでは、各保育園からお神輿を出していただき、園児が担いでにぎ
わいました。

    宇津薬師堂を見学する小学生

観光
農業の町なので、観光する場所は多くありません。
安住(やすずみ)神社、道の駅たかねざわ元気あっぷむら、御料牧場、宇津薬師堂
などがありますが、次の機会に順次詳しくご紹介します。

自然
田畑と緑が多く、むかしからある屋敷の周りは防風林で囲まれています。

本社周辺はとても静かで、車の騒音もサイレンの音もほとんど聞こえません。
むかしは、夜になると遠く離れた東北線の汽笛の音が聞こえました。
人家ががぽつぽつとしかなく、車のライトを消すとほとんど漆黒の闇ですが、
星空はきれいに見えます。

生き物たち
夏は、昼間はセミ、夜はカエルの大合唱です。
むかしは、ホタルや蝶々、オニヤンマやカブトムシなどが沢山いました。網戸
の無かった時代に夜蚊帳を釣って寝ると、周りを大きな蛾やオニヤンマが飛び
交い、朝起きると力尽きた虫たちが足の踏み場もないぐらいに凄いことになっ
ていました。

イナゴの佃煮は有名ですが、地元の人によれば、スズメバチの巣を退治した後
に取れる蜂の子が絶品だそうです。
最近は農薬も規制されていますが、以前に比べるとカブトムシやクワガタなど
昆虫がめっきり減りました。

鳥は、シラサギ、アオサギ、トンビ、サシバなどを見かけます。以前は鳩が多
くて糞や鳴き声に悩まされましたが、最近は見かけず、代わりにカラスが増え
ました。カラスは頭がよく、駆除しようとすると、撃たれない人家に逃げ込む
そうです。

動物は、山がないのでクマやサルはいませんが、最近はイノシシが出没してる
そうです。その他、タヌキ、キツネ、ハクビシン、ウサギ、ヘビなどを見かけ
ます

町の変貌
弊社の本社・工場は、緑豊かな田園地帯の真ん中にあり、その景色は何十年たっ
ても変わっていません。筆者が幼少のころは、道はまだ土のままで、牛車が通
ると牛のフンが落ちていました。50年ほど前には砂利が敷かれていましたが、
自転車で走るのが大変で、車が通ると凄い土ぼこりがたちました(当時の全国の
舗装率は約30%でした)。いまは道路は舗装されてきれいになりましたが、のど
かな田園風景はそのままです。

昭和44年に、皇室や国賓に供する家畜を飼育する御料牧場が千葉県の三里塚か
ら移転してきました。それだけ自然が豊かなわけです。その御料牧場が出来た
おかげで、弊社に来る途中の道路がすごくよくなりました。

平和な町
高根沢町も広いので、全体の治安のことまではわかりませんが、少なくとも
弊社のある上高根沢ではほとんど犯罪が起きず、パトロールカーのサイレンの
音はまず聞いたことがなく、パトロールカーもめったに見かけません。

大嘗祭の米に指定されたときは、警備に大勢の機動隊、警察官が来ていました
が、その後パトロールカーを見かけるのは、唯一御料牧場に皇族の方がお見え
になるときぐらいです。

そんな緑豊かな平和な高根沢町で、420年間以上も宇津救命丸を作り続けてい
ます。