宇津救命丸株式会社公式サイト

宇津救命丸歴史探訪シリーズ第5回

2024年07月31日

宇津資料館 前編

当社敷地の一画にある「宇津史料館」を、2回に分けてご案内します。
なお、簡易的に筆者が撮影した写真も含まれますのでご了承ください。

史料館設立の趣旨
歴史の長い会社でも、都市部に史料を保管していた会社は震災や戦争で焼失
してしまっていることが多いのですが、当社はこの地の蔵に保管していた
ため、古い資料が比較的残っています。
しかし、長い間保管していると紛失することもあるので、宇津救命丸の歴史
を知っていただくことと保管を兼ね、昭和47年に宇津史料館を設立しました。

建物
入口には、第51代衆議院議長の船田 中氏に書いて頂いた「宇津史料館」の
看板がかかっています。宇津家は古くから船田家と繋がりがあり、親戚関
係でもあります。

史料館の建物は、かって宇津家で使用していた二階家を改装したもので、
天井の梁やむき出しの電線は当時のままです。

竜吐水
玄関の横には竜吐水が置いてあります。竜吐水は江戸時代から明治にかけて
作られた消防ポンプで、東京の消防博物館にも展示されています。
このほかにも、以前は江戸時代の籠や、木製の電話ボックスなどもありまし
たが、残念ながら、いつしか紛失してしまいました。

展示物の一部をご紹介> 

家系図
入館すると右側に、初代から第18代現会長までの家系図があります。
第16代までは、初代権右衛門の名を襲名していました。

中興の祖
救命丸の中興の祖といわれる第5代重上の肖像画と、彼の功績をたたえた
逸翁略伝があります。
宇津重上は、領主一橋家に救命丸を献上して世に広め、原料が入手困難な
時には東奔西走して日本中から原料を集めて作り続けました。
肖像画に描かれた通りですが、江戸時代の町民でも名字帯刀を許されて
いました。

歴史のパネル
宇津救命丸の創生から現在までの歴史が書かれていますが、歴史の説明は
別の機会に。

江戸時代の屋敷図
江戸時代に、領主一橋家が宇津家の様子を知ろうと画家に描かせたもので、
平地から見た風景を俯瞰で描いているのが秀逸です。いまでも残っている入
り口の赤松や長屋門が描かれています。
この絵は一橋家所有でしたが、現在は水戸の民俗資料館に寄贈されています。

神農像
薬の神様とされている神農像で、この中の一番古い像は江戸時代の物です。
あくまで伝説ですが、古代中国で医療と農耕の知識を人々に広めたことから、
神農と崇められました。薬となる植物の効用を人々に知らせるため、薬草
と毒草を見極めようと自ら食し、薬効や毒性の有無を検証しました。
その頭には牛のような特徴的な角がありますが、生まれつきだとか、毒が回
って生えてきたなどと諸説あります。

わが国でも医薬の神として信仰され、江戸時代の医家では神農像を祀って
治療を行ったそうです。今でも医薬品メーカーでは神農像を祀り、お祭りも
行っています。

宇津救命丸パッケージの遍歴
救命丸の、明治時代からのパッケージが展示されています。

むかしは、箱も袋もなかったので、紙に包んで売られていましたが、効能や
成分の書いてある能書は添付されていました。
大正時代になると瓶に詰めて袋に入れられ、その後紙の箱に入れられました。
高額の商品は、木の箱に入れられたこともあります。
ガラス瓶が出来たころ、コルクに蝋を付けて栓をしていた、などといまでは
考えられないような時代もありました。

当社の販売する商品
当社は、製造・販売がほとんど小児用医薬品という、日本でも=世界でも珍
しい医薬品メーカーです。お子様の健康を守るため、一時は20品目以上の
いろいろな薬効の医薬品を製造販売していました

宇津救命丸の原料
宇津救命丸に入っている原料を展示し、実際に匂いとかを感じて頂けます。
香水の原料としても使われたジャコウ、金の価格の2倍もするゴオウなど、
小学生の見学で一番盛り上がるコーナーです。

市販薬の歴史年表
江戸時代前、1570年から現在までの市販薬メーカーが載った年表です。
一番古い1570年に発売された薬が無くなったため、薬局等で買える薬の中で、
実質的に当社が一番古いメーカーとなりました

宇津救命丸の宣伝物
大正時代から現在までの当社の宣伝物です。
むかしは手ぬぐいなどの布物が多かったですが、昭和の中期には鉛筆や
クレヨン、プラスチックのおもちゃなどを景品にし、物のなかった時代に
大変好評でした。
また、近年ではユニクロと提携してTシャツを創ったり、ガチャガチャの
景品でキーホルダーになったりしました。

むかしの製造道具
近代化される前に、宇津救命丸を造っていた道具です。
手動の製丸器は、煉り合せた原料を小さな穴から押し出し、細かく切って
それを丸めて作りました。その製法は熟練を要し、丸を作る専門の製丸師が
いました。当時薬といえば粉薬か丸剤しかなかったので、機械を持って全国
の製薬会社を回ったそうです。また、銀箔・金箔を付ける箔付師もおり、製
丸師が回った後に行って箔を付けました。ちなみに、黒い丸剤に銀箔・金箔
を付けたことから、「箔をつける」という言葉が生まれました。

写真の「宇津式製丸器」は、当社が開発した簡易製丸器です。
そのほか、珍しい木の薬研や石臼なども展示してあります。

自動製丸機
機械化が進むと、モーターで動く製丸機が発明されました。しかし、モーター
自体が大型で貴重だったため、1台のモーターで何台もの機会を動かしてい
ました。

昭和初期の製丸機です。煉り合せた原料を入れると丸いローラーの溝に詰まり、
それを回転する爪で欠きとって、左右に動くプレートで丸めて丸剤にします。
最新の機械も原理は同じです。

後編に続きます。