宇津救命丸株式会社公式サイト

宇津救命丸歴史探訪シリーズ第5回後編

2024年08月20日

宇津史料館 後編

私立宇津学校資料

一階の中央には、明治の初めに開校していた、私立宇津学校の資料があります。


私立宇津学校については、歴史探訪の第3回でご紹介していますのでご参照
ください。https://www.uzukyumeigan.co.jp/wp-admin/post.php?post=9045&action=edit

江戸時代の営業資料

その隣には、江戸時代の営業資料があります。当時青森から岡山まで歩い
て売った記録や、その日の売上や、わらじを買ったなどの経費が帳面に克明
に記載されています。

宇津救命丸の類似品

2階へ行く階段の途中に、宇津救命丸の類似品を集めた写真があります。
ここにあるのはごく一部で、ピーク時には120種類近くの類似品が存在し
ました。

「掟」

二階へ上がると、江戸時代に救命丸を調合するときの心得「掟」がかかっ
ています。当時、救命丸の処方は秘中の秘で、その処方は長男から長男へ
と、口伝えだけで伝承されてきました。救命丸を処方するときは、敷地の
一画にある誠意軒に一人でこもり、家族でさえ近寄ることを禁じられてい
ました。そして、「斎戒沐浴し新しい着物に着替える、酒・たばこを断つ」
など、この掟に従って調合していました。

小学校副読本

高根沢町には6つの小学校がありますが、4年生の副読本には、地元に貢
献した企業として、当社の歴史が掲載されています。11月ごろにその
4年生たちが授業の一環として、宇津薬師堂、宇津史料館の見学に来られ
にぎやかになります。

むかしの帳場と金看板

むかしの帳場を再現しています。奥にある引き出しの沢山ある棚は、「百味
箪笥」で、沢山の種類の薬の原料(生薬)を入れていました。宇津救命丸とい
う名前の入った机や火鉢は、小売店への景品です。上にかかっている金看板
も小売店に提供していました。

菊の紋章の盃

むかしの茶器と並び、菊の紋章の盃が展示されています。
これについての確証はありませんが、明治時代にこの近辺で陸軍の大演習が
行われて、当時師団長だった皇族の方がお泊りになる館を造るよう宇津家が命
を受け、現在の書院を建てて、その褒美に盃を頂いたのではないかと推察さ
れています。書院については次回ご紹介します。

秘密の雛人形

この雛人形(ご神像)は江戸時代中期に造られたものですが、むかしは「見ると
目が潰れる」と言い伝えられ、誰も扉を開けることなく秘蔵されていました。
昭和初期、当時の番頭さんが決死の思いで扉を開けると、中に写真のような
4体のご神像がありました。

そのうち3体は日光三所権現(男体山、女峰山、太郎山)で、むかしは山を
神聖視して崇拝する信仰がありました。問題は右下に東照大権現(徳川家康)が
いることで、右下というのは一番格下を表しています。日光の三所権現は
東照大権現よりも格が上であることを表しているのだと思われますが、この
ことが公になれば、徳川時代では間違いなく反逆罪に問われたことでしょう。
それを恐れ、扉を開けないように「開けると目が潰れる」と言い伝えたので
はないかと推察されます。

では、なぜその様な物が宇津家にあるのかということですが、この雛人形に
描かれている左三つ巴の家紋は500年続いた宇都宮家の家紋と同じであり、
宇津家の家紋も同じです。

ちなみに宇都宮家と宇津家は、ともに藤原家の流れを汲んだ遠い親戚だった
ようで、分家するときに宇津木、宇津宮、宇津と苗字を変えたと思われます。
(江戸時代の地図に、宇都宮を宇津宮と書かれたものが存在します)
従って、初代権右衛門が帰農してすぐに庄屋になれたのも、名字帯刀を許さ
れたのも合点がいくと思います。

東照大権現の位牌と馬の相の模型

左にある東照大権現(徳川家康)の位牌は、宇津薬師堂の補修の際天井裏にあ
りました。もちろん本物ではないですが、宇津薬師堂を建てた木工師は東照
宮の修理を請け負っており、自分の力を誇示するためにこのような物を置い
たのではないかと推察しています。

右の馬の人形の詳しいことは不明ですが、当時農耕に使う馬は高価だった
ため、馬を購入するときに健康の良しあしを見るための模型ではないかと
いわれています。

明治時代からの新聞広告と、チラシ・雑誌広告

壁一面に、明治時代から、大正、昭和までの宇津救命丸の新聞広告が貼って
あります。時代を反映していますが、太平洋戦争前にクリスマスやスキー、
欧米人の女優のイラストを使ったしゃれた広告が目につきます。
むかしは、廃品回収業の人が見つけて売りに来ました。

右のチラシは大正時代のもので、まだカラー印刷機などない時代ですから、
浮世絵のように一色一色重ねて塗ったようです。

むかしの生活道具

むかし使っていた生活道具もいくつかあります。左は炭を入れるアンカで、
足で蹴飛ばしても炭がこぼれないように、地球ゴマのように縦にしても横に
振っても容器は水平を保っています。

右は着物用のアイロンで、中に炭を入れ、着物の上を擦りました。

捕り物用武具

これは盗賊を捕まえる武具です。賊の着物の「たもと」を先のトゲトゲ
で絡めて捕まえる物で、柄は回しやすいようにわざと曲げています。

ご案内は以上ですがほかにも多数の金看板などがあり、次の機会に
ご紹介します。