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宇津救命丸歴史探訪シリーズ第6回 高根沢工場(基本部分)

2024年09月26日

当社の建物の中で、比較的新しいのが、昭和36年に完成した高根沢工場です。

それまでは、別の場所に木造二階建ての工場がありました。
畑の真ん中にポツンと大きな工場があったので、戦時中米軍のパイロットが
軍需工場と勘違いし、機銃掃射を受けたそうです。大きな被害はありません
でしたが、弾の後は残っていました。その後は竹を切って並べ建物を隠した
というエピソードがあります。

むかしの工場の外観。写真がだいぶ傷んでいます。

昭和36年に新築した工場は、鉄筋コンクリートの平屋建てで、設計はレーモンド
事務所が行いました。
レーモンド事務所は、創業者のアントニン・レーモンド氏が、1919年に旧・帝国
ホテルの設計管理業務為にフランク・ロイド・ライトと共に来日し、1921年に
東京丸の内に建設事務所を開設しました。東京女子大学、聖心女学院、立教小学校、
安川電機本社ビルなど、沢山の作品を手掛けています。
現在も事務所は健在で、ホームページの実績一覧の中に、当社の名前が載って
います。

レーモンド氏の設計理念は「人間的尺度によって、自然により、単純により、
直截により、経済的にこころから創ることにある」とあります。
現在も当時の建物は残しておりますが、たしかに奇をてらった所もなく素朴
で、構造は単純ながらコンクリートの壁は厚く、質実剛健な建物です。
2011年の東北大震災のときも、近隣の工場は大きな被害を受けましたが、こ
の建物はびくともせず、少し壁にひびが入った程度でした。

落成当時の写真。いまは増築しているので外観は変わっています。
当時の設計図。右下にレーモンド設計事務所と書いてあります。

レーモンド設計事務所が設計したことは忘れられていましたが、改めて見直
すとなんとなく品があるような気がするのは手前味噌でしょうか。
その建物を核とし、増築や改築を行って現在の工場があります。

では、当社がなぜ著名なレーモンド設計事務所に設計を依頼したのか。
それはレーモンド氏の日本人の弟子が、戦争中栃木の宇津家に疎開しており、
それが縁となってお付き合いが始まったとのことです。

実際は老朽化でいろいろトラブルがありますが、貴重な遺産として残していけ
ればと思います。