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宇津救命丸歴史探訪シリーズ第7回 奥書院

2024年11月05日

奥書院とは名前の通り、以前は書院があり、その奥に建てられたの
で奥書院と呼ばれています。
敷地内の北東に位置する二階建ての書院造りの建物で、明治24年に
建てられました。

言い伝えによると、明治時代に高根沢近辺で陸軍の大演習があり、
その師団長が皇族の方の為、お泊りになる館を建てるようにと宇津
家に依頼されたという話です。むかしの豪農は、結婚式のために家
を一軒建てたという話があるぐらいですから、絵空事の話ではない
と思います。そのお礼に頂いたと伝わる「菊の御紋の盃」が、宇津
史料館に展示してあります。

一階の屋根は銅葺きなのに、なぜか二階の屋根はトタンでした。
これは、お泊りになる日にちが迫っていて、銅葺きが間に合わなかっ
たという話があります。

室内には12畳の部屋が二間ありますが、むかしの高貴な方の座敷の
ように、床から20センチほど高くなっているのが特徴です。

凝った彫り物の欄間

すべての廊下には、雨戸を閉めても灯りが入るように灯り取り
があります。

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室内から見た庭。

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二階は8畳二間で日本庭園が一望でき、とくに秋の紅葉がきれい
です。

障子の取っ手が床から50センチ位の所にあり、座って開けるように
していたようです

外に風呂場があり、ヒノキの風呂桶でしたが、現在は老朽化のため
使っていません。

以前はガラス戸も網戸も無く、雨戸と障子だけだったので、冬は寒
くて夏は暑く、部屋の中に虫が入り込み、久しぶりに雨戸を開ける
と床一面に虫の死骸で掃除するのが大変でした。

20年ほど前にサッシとエアコンを入れてリフォームし、いまは来客
用の迎賓館として使っています。
2011年の東北大震災では建物全体が傾き、室内の土壁が全部落ちま
したが、建物自体の損傷はありませんでした。

その後修復したとき、二階の屋根もふき替えました

毎年実施している栃木県の「子ども大学」の勉強会は、ここで行っ
ています。

先日行った一万灯祭では、ここで漢方茶の試飲会を行いましたが、
2000年の一万灯祭ではお茶の先生を招いて本格的なお茶会を開き、
来訪された福田栃木県知事にも参加して頂きました。