宇津救命丸株式会社公式サイト

宇津救命丸歴史探訪シリーズ第8回 誠意軒

2024年12月11日

当社敷地内にある日本庭園の木立の中に、誠意軒があります。
江戸時代に建てられたもので、明治時代までここで救命丸の調合が行われ
ていました。

           正面(西側)

初代権宇津右衛門が創成した救命丸は、秘薬として宇津家でも秘中の秘と
され、その処方や調合は紙に残すことを禁じられ、長男から長男へ口頭
(口伝)で伝えられました。

当主が誠意軒で救命丸を調合するときは、代々伝わる「掟(製薬信条)」に
従い、寒い冬の2月に、斎戒沐浴※し、誰も近づけさせずに一人で行い
ました。 ※飲食や行動を慎み水を浴びて身体を清めること。

   天明4年(1784年)に書かれた実際の掟
大正時代に当時を再現した写真。画像が不鮮明ですが、神事のよう
に周りにしめ縄を張り、当主は裃(かみしも)を着ています。


建物は高床式で、三方は濡れ縁に囲まれています。

          北側

南側にはガラス戸が入っていることから、大正時代か昭和初期に改装
されたものと思われます。

南側 秋の様相
冬の様相

建築当時は「図らずも」だ思いますが、ここから庭園の眺めは絶景です。
江戸時代から現在まで、救命丸はこの景色とともに、ずっと変わらずに
続いています。