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宇津救命丸歴史探訪シリーズ第4回

2024年06月19日

宇津薬師堂

宇津薬師堂は、工場から少し離れた東南の一画にあります。

宇津家では、初代宇津権右衛門が救命丸を創って無償で配った「人を思いやる気持ち」を代々継承してきましたが、人々が病苦から救われることを願い、1659年に宇津薬師堂を建立しました。
後に一度消失して江戸末期に再建し、現在は栃木県高根沢町の指定文化財となっています。

ご本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)で、病気や災難を除き、健康と幸福を与えてくれる仏様です。医療がほとんどなかった当時は、病にかかると神様や仏様にお願いするのが唯一の方法だったので、健康を祈願して全国に多くの薬師堂が建立されました。

堂内の全景

仏壇の中央に薬師如来、右には日光菩薩、左には月光菩薩がいて、薬師三尊像と呼ばれています。

その後ろには十二神将が控え、各神将がそれぞれ7千の部下を率いていると言われています。
十二神将は、薬師如来の12の大願(薬師如来が人々の健康を守るために発した12の願い)を守護する神でもあります。

後世になって十二支と結び付け、十二の時、十二の日、十二の月を司る守護神として、頭上に十二支の動物の像を戴いています。

薬師三尊像と十二神将は、どこの薬師堂にも同じく祀られていると思われます。

仏壇の上には大きな龍、扉には雀やリスなどの動植物が細かく彫刻されています。

台にも細かい細工がしてあります。

天井には、牧野牧陵(江戸時代末期から活躍した下野の南画家)の龍の水墨画を中心に、彩色で59種の花が描かれています。この花の名前については現在調査中ですが、薬草だけでなく、地元の草花も描かれているとのことです。

薬師堂の本体は総ケヤキづくりで、屋根は銅板瓦棒葺き(ぼうぶき)です。

向拝(屋根の中央が張り出した部分)には龍や唐獅子、鶴や松があり、建物の周りにある彫り物の中にはまだ赤や緑の塗料が残っています。

向拝東側の彫り物

向拝西側の彫り物

東西に4騎づつある唐獅子。口の中にまだ朱色が残っています。

薬師堂を上から見ると、四方の屋根が同じ形をしており、建物の東西南北には中国の四方を守る神様が守っていて、南には朱雀(すざく)、東には 青龍(せいりゅう)、北には玄武(げんぶ)、西には白虎(びゃっこ) がみてとれます。

正面(南側)の彫り物

建物の細工や様式が日光の東照宮に以ていることから、東照宮を建てた、あるいは修復した宮大工がこの地に住みつき、この薬師堂を建てたのではないかと言われていましたが、4年前に専門家の方々に調査して頂いたところ、彫刻は鹿沼の彫工師の石塚吉明の作であろうとのことでした。 石塚吉明は 江戸時代の彫工師で、東照宮の修繕に関わり、1862年には鹿沼の彫刻屋台(日光市指定文化財)を作りました。

土台の石は那須地方の石で、建物以外にもたくさん使われており、どうやって大量の石を運んだのかは未確認ですが、舟に積んで鬼怒川を下ってきたのではないかというのが有力な説です。また、石を削る技術から推察すると、加工は江戸の職人がしたのではないかとのことでした。

一万燈(いちまんどう)祭
宇津薬師堂では昭和の中期ごろまで、毎年8月9日の薬師の日に、人々の健康を祈願して一万燈祭を行っていました。一万燈祭とは「仏様が一万の灯をともして人々を導く」という仏教用語で、お祭の夜に沢山の灯燈を立てたことからなぞられて命名されました。
昔は境内で芝居や映画を上演し、露店も出て、娯楽のなかった当時はこの日を楽しみに遠方からも沢山の人々が集まってきたそうです。
 2012年に、地元への貢献として約50年ぶりにこのお祭りを再開し、多くの家族連れやむかしを懐かしむお年寄で賑わい、県知事や町長もご来場されました。